昨日は七夕でした。
支援学校からいただいた短冊に、
「また言葉が話せるようになって、みんなでたくさん笑い合えますように。」
と書きました。
その願いを書きながら、「そういえば、言葉がなくなってから1年が経ったんだな~」と、いろいろなことを思い出しました。
末っ子は、てんかん発作を発症してから、少しずつ言葉が減っていきました。
それでも歌はよく歌っていました。
「きらきら星」と「さんぽ」。
この2曲が、当時歌える唯一の曲でした。
2025年の年明け頃、歌っている姿を見た時には、「あれ?前より少し滑舌が悪くなってきた?」と感じたことがありました。
そしてその年の6月中旬。
最後に聞いた言葉は、長女の名前でした。
お姉ちゃんを見て、「○○(長女の名前)」。
あの一言が、最後の言葉になるなんて、その時は思わなかったな。
それから、この子は話さなくなりました。
発達が専門の医師からは、
「私の経験上、また話せるようになる子もいるから、諦めずにできることをやろう」
と言われました。
その言葉を希望に、できることは何でもやってみようと、いろいろ取り組んできました。
でも、言葉が戻ることはなく、1年が過ぎました。
そんな中、今年(2026年)の春、長女がぽつりと言いました。
「気のせいかもしれないけど、『○○(お姉ちゃんの名前)』って言った気がするんだよね。」
本当にそうだったのかは分かりません。
でも、その言葉を聞いた時、「きっと言ったんだよね」と信じたい、希望を持ちたいと思いました。
きっとこの子は、今も話そうとしているんだと思います。
声にはならないけれど、ジェスチャーや視線で、一生懸命伝えようとしてくれています。
何か伝えたい時。
「ちょうだい」「もっと」「おかわり」。
何かしてほしい時。
この子は手をパチパチ叩いて教えてくれます。
でも、それが何を伝えたいのか分からないこともあります。
「これ?」
「違う?」
「じゃあ、これかな?」
思いつくものを一つずつ試しても分からず、この子も伝わらないもどかしさから、手をパチパチ叩きながら「うーうー」と声を出して訴えています。
そんな時、私は、
「分からないよ!ちゃんとしゃべってよ!」
と、悲しさと苛立ちから声を荒げてしまったこともあります。
言ってもどうにもならないことは分かっています。
それでも、お互いに伝わらない苦しさがあるんです。
この子も苦しい。
私も苦しい。
だからこそ、あの時は感情を抑えられませんでした。
それでも、この1年を振り返ると、一つだけはっきり言えることがあります。
この子は、言葉は話せなくなったけれど、コミュニケーションを諦めたわけではありません。
むしろ、ジェスチャーや表情、視線を使って伝えようとする力は、この1年で確実に伸びました。
最近では、「食べたい」「やってほしい」といった気持ちをジェスチャーで表現できるようになり、少しずつ意思表示も上手になっています。
言葉はなくても、伝えたい気持ちはちゃんとあるんだよね。
いつかまた言葉が戻ってきたら、それはもちろん嬉しい。
でも、先は分かりません。言葉で出るのを待つのではなく、今のこの子の伝え方も大切にしながら、一緒に歩いていきたいと思っています。


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